No.32(2019) p.74-76
特集Ⅲ未来医学研究会のいま
BMC OB/OG近況報告
大須賀 美恵子
1981~1982年に第13回医用工学カリキュラム(当時の名称)を受講しました。なんと36年前、三菱電機に入社して2年目のことです。年齢も専門分野・所属も異なる46名が集い、桜井靖久先生を始めとする講師陣の熱い指導を受け、大いに議論をしました。同期の皆さん「7つのME」覚えていますか?宿泊研修では桜井先生の落語で盛り上がりました。

この年度のグループ研究のテーマは「老化とME2001年」。色褪せた研究報告集を発掘しました。本文も図も手書きです。20年後だった2001年もすでに昔、果たして提案に取り組んできたのか、恐る恐る開いてみると、私は「老人ぼけの臨床・予防とME」の提案をしています。今に置き換えると、データ収集はIoT、データバンクはクラウド、支援システムはAI、人のケアはロボットではなく人にしたいところです。

認知症高齢者の認知・運動機能維持のためのインタラクティブシステムや、ロボットを用いた見守りなど、関連する研究開発を細々としていますが、このようなトータルシステムを手がけるには至っていません。認知症に限らず高齢者問題は、研究対象としてだけでなく、親の介護さらに自身の切実な課題になってきました。

36年の間に、所属は企業(三菱電機)から大学(大阪工業大学)に移り、部門や学科は何度も変わりましたが、広い意味でのBME分野からは離れずに来ています。三菱電機では2000年ごろ21世紀ビジョンの取り組みに「ウエルネス分野」が取り上げられ、このころ始めたテーマは大学に移っても続けています。大学では、情報科学部情報メディア学科に4年(主にバーチャルリアリティのウエルネス分野への応用)、工学部生体医工学科の立ち上げに協力して4年、この学科がロボット工学科と生命工学科に分かれてロボット工学科に所属、2017年に開設したロボティクス&デザイン工学部(RD学部)に移りました。

所属学科や主軸の学会は変わりつつも、人の生理心理計測とICTを応用して人のウエルネスに貢献したいという思いは一貫しています。開発したシステムはターゲットユーザに使ってもらって評価するところまでは行くのですが、力不足で、製品化どころか日常的に使ってもらうことの難しさを毎度痛感しています。最近、三菱電機の最後の方(1995~2000年ころ)に国立がんセンターと一緒に取り組んだがん患者のメンタルケアをめざしたベッドサイドウエルネスシステムのリベンジを始めました。もう歳もバレていると思いますが、2年前に還暦を迎えています。脳外科医だった夫は早く(2003年)に亡くなり、長男は血液内科医、次男は産婦人科医になっています。前述の研究は長男との共同研究です。技術の進歩で20年前できなかったことが安価でできる今こそ、患者さんと家族さん、医療スタッフにも喜んで継続的に使ってもらえるシステムを提供したいと切に願っています。

RD学部は大阪梅田駅前という大変便利な場所にあります。AI時代に活躍できる人材をいかに育てるかが課題です。デザイン思考をツールにユーザ目線の考え方を身に付けさせること、地の利を活かし、低学年から産学連携・地域連携による社会の実問題に取り組ませることが特徴です。共同研究や社会人ドクタだけでなく、企業の人と学生が一緒に取り組むPBL(Problem Based Learning)への参加も募集しています。よろしければwebサイトをご覧ください(http://www.oit.ac.jp/rd/)。

東京はオリンピックですが、大阪も2025年の万博という目標ができました。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうです。ロボティクスのBME分野への貢献の未来を描くよい機会です。余談になりますが、つくば科学博のときに「未来医学」でスズケン社長のインタビューをしたことを思い出しました。探してみたら創刊号!桜井先生のなつかしいお顔に出会えました。「未来医学」のバックナンバーに目を通したいという思いが強くなりました。

私の近況、働き方改革には取り組めず、あまり真面目な学生ではなかったBMCの頃からは想像できないようなワーカホーリックな生活をしています。近づいている定年後に、自身のwell-beingを得るには周りの人のwellbeingに貢献することだと考えています。それには何をすればいいのか、まだ解は見つけていません。実はシェーグレン症候群の発症が発覚し、ステロイド治療をしています。症状は軽いのですが長い付き合いになりそうです。心肺機能や運動機能が落ちており、学生が取り取り組んでいる中高年の自発的運動をスマホとAIスピーカでファシリテートするシステムのユーザになって、辛口のコメントをしつつ自身の健康寿命延伸と一挙両得を狙います。

最後になりましたが、長い間この分野でなんとか生きて来られたのも、BMCで指導していただいた先生方と皆さまのおかげと感謝しております。お目にかかる機会があればと願っています。