Vol.42(2013年9月18日配信)

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 こんにちは、RegMed-now編集室です。気温の変化が大きい季節となりました。皆様ご健康で過ごされることをお祈り申し上げます。7月に刊行された「未来医療への挑戦者たち」は、お陰様で大変好評を博しております。電子書籍化も完了しました。全編無料ですので、ぜひお知り合いにも広めて頂けましたら幸いでございます。
◆PDF版書籍ダウンロードページはこちらから→http://twins.twmu.ac.jp/gcoe/rmn-book
 さて、今号からは赤池敏宏先生のインタビューです。赤池先生のエキサイティングなお話をどうぞお楽しみください。


【目次】

1. インタビュー企画 『未来医療への挑戦者たち』 シリーズ第9弾 赤池敏宏
●第1回「研究者・赤池敏宏ができるまで」

2. 再生医療トピックス
◇第13回日本再生医療学会総会 演題募集中
◇東京工業大学 バイオマテリアルシンポジウム

3. ABMESダイジェスト
◇口腔粘膜上皮細胞の6動物種間比較による、実験動物選択への提案(近藤誠ら)
◇受賞のお知らせ


1.インタビュー企画 『未来医療への挑戦者たち』 シリーズ第9弾
-東京工業大学 生命理工学研究科 赤池敏宏

【プロフィール】
赤池 敏宏(あかいけ・としひろ)
1975年 東京大学大学院工学研究科合成化学専攻博士課程修了・工学博士。東京女子医科大学助手、東京農工大学助教授、東京工業大学 生命理工学部教授を経て、2012年退官後も東京工業大学特任教授として現在も精力的に研究活動に勤しむ。工学と医学との学際領域で生物学と高分子材料工学を真に融合した新しい学問領域の創成を目指す。


☆シリーズ第9弾を読む > 第1回第2回第3回最終回

●第1回「研究者・赤池敏宏ができるまで」

◆不屈の精神と溢れるチャレンジ精神

──まずは、研究者赤池敏宏ができるまでということで、先生のルーツについてお伺いします。

赤池 僕は富士山の麓で生まれました。小学校5年生のときに大阪に移り、8年間の教育を受け、ガリ勉型受験生になって東京大学理科1類に入りました。そういう点では思い出の地、郷里というと富士山を思い浮かべます。

──どんなお子さんだったのですか?

赤池 田舎のやんちゃ坊主で野山を飛び回っていました。結構農村地帯にいましたので、近所の林や池で遊んだり、いろいろやりました。

 母親が持っていてくれた小学6年の卒業文集があるのですが、「明日はいよいよ卒業だ。心に太陽を持って、新しい人生の道へ進もう。何ごとにもつらいときがあろうが、僕たちはそれを乗り越えてこそ立派な人になれるのだ。僕たちの心の奥深く刻み込んでおくのは努力と根性の精神だ。なにくそ、どんなことがあっても負けまいぞ。突進だ」とかっこよく書いています。

 僕はあまり表には出さないにしても、絶対に挫折はしないという精神力を持っていました。だから新しい領域にはぴったりです。どんな逆境でも耐えられると思います。不屈の精神というのは子どもの頃から持っていたようで、それが役に立ちました。僕の研究領域であるバイオマテリアルは、僕が博士課程終了後女子医大で始めた頃にはまだまったく新しい学際領域でしたから、海のものとも山のものともわからないわけです。そんな怖いこと、危険を冒したくないとみんな思います。既定の路線に乗るとか、それではおもしろくない。何かチャレンジしたいという気持ちがありました。

──小さい頃から研究者になろうと思っていたのですか。

赤池 全然そうではありませんでした。成り行き任せでした。そこが僕のいいところだね(笑)。ちょっと伝記に憧れて、あるときは野口英世のような医者になりたいと思うこともありました。考古学者になりたいとか、記憶力がいいから弁護士に向いているとか。記憶力は良かったですね。すごくいいと自分に言い聞かせていました。とりわけ人の名前とか。今でこそ衰えていますが、ものすごかったです。情報・人脈の赤池と言われた時期もあります。ウォーキングダイレクトリー、歩く人名録と。でも、ひたすら覚えるとか、法律関係とかは絶対に嫌です。今から考えると選ばなくてよかったです。

 そして、高校に入ってからも、そこで何になりたいというほどの願望を持たないまま、学生としてのノルマを果たしているというか、その中でみんなに負けないいいテストの点を取りたいもんだぐらいの感じでやっていましたね。まだ高校の中盤でも将来は何になりたいのかとか、どこの大学に行きたいのかはわかりませんでした。強い希望も野心もなかったです。とにかくしゃにむにガリ勉をし、自分の興味のまま、比較的狭い範囲の勉強を一生懸命こなしていただけです。親に感謝しないといけないかもしれません。明るく社交的な性格で、ペシミスティックではなく、そしてそこそこの記憶力を持たせてもらったことを。

──大学で応用化学を選ばれたきっかけは何ですか。

赤池 僕はどちらかというともともと文科系人間です。ガリ勉をすれば3年間分ぐらいの範囲の勉強なら記憶力を集積してトップになることはできそうでした。でも、見ていると天才肌の特技を持っている人、数学に強いとか、文学に強いとか、文章力があるとか、そういう天才っぽい人に対抗するにはただの受験ガリ勉型では勝負にならないと思いました。それで自分には何が残っているのかと思いました。数学も英文も選ばなくてよかったです。考古学は好きだったかもしれないですが、結果としては食えないという意見もあって自然にやめました。

 化学を選んだのは、ジュリオ・ナッタがノーベル賞を取った翌年ぐらい。高校2年生ぐらいのときです。きっかけとは言っても新聞程度しか見ていないのですが。今で言えば山中伸弥さんの記事を見て再生医療をやりたいと思ったという感じかな。ガリ勉でそこそこトップになれるのなら、勝負できるかもしれないと思っただけの感じです。でもその実、学問の奥行きの深さとか、きらりと光る要素がなくてはいけないという点では、軽く決めない方がよいと思います。化学を選んで、多少つぶしが利くぐらいで、嫌いでないし、覚える要素もあるしと。でも当時は生物はまったく選択肢に入っていませんでした。しかし化学の世界に入ってから生物を見ると結構おもしろいのではないかと思うこともありました。

◆学生運動に明け暮れた大学時代

──大学に入ってからはどのように過ごしてたのでしょうか?

赤池 何かチャレンジしたいという私の生来の気質が悪く出たのか学生運動です。いわゆる東大闘争と言われる全共闘運動で東大のシンボル安田講堂の近くの建物に立てこもっていたんですから。地味な学生運動セクトの活動はちょっとですがかじって、あまり勉強をしない2、3年を過ごしたわけです。大学4年生でいよいよ東大卒業が半年後に迫っているときにみんなでストライキを始めたわけです。工学部応用化学の学科のリーダーですから、100人ぐらいですが、ストライキ実行委員長になってしまいました。普通はストライキを指導したらリーダーは除籍すなわち退学か停学です。あの時は、医学部の処分をめぐってみんながストライキを始めたのが、どんどんエスカレートしていったわけです。燎原の火のごとくそのうち工学部も大学当局の不条理な処分を解除させろと後に続いたわけですね、みんなが次々に。全学ストライキですね、今ならそんなことありえないですが・・・。

 余談ですが、学生運動そのものは卒業しましたがふとしたことでその後も同じような事を何回かやっていますね。5,6年前の国立大学の法人化のときには、当時野党だった民主党の議員に応援演説をぶってくれと言われ、国会の文教委員会で結構真面目にアジりました。いかに大学法人化の精神がよくないことかと。基本的には教官の評価システム導入が特に危険であることを述べました。大学執行部やそれに連なる教育評価委員会なるものが「お前の評価がどうだのとか、学問業績が悪いの何だの」と言おうとするシステムが企てられました。それまではそういう評価がないからこそ、大学には必ずおもしろい人(研究者)がたくさんいたわけです。評価してくれなくてもいいから俺はこれをやるという人が、こつこつおもしろいことをやっていた。それが、評価を気にせざるを得ない状況におかれることで、全部が良い点を取れる優等生の学問を追求することになってしまうのではないかと思ったわけです。

 その最悪の例がなんと私の所属していた東工大にあったのです。筑波大学の白川英樹先生(現在:名誉教授)はノーベル化学賞を取られましたが、先生の仕事のほとんどは、窓もない研究室を与えられていた東工大の助手時代に成し遂げられたものと言われていました。そうやって、評価されなくていいから俺たちはやるという人がいろいろな大学に少なからずいたわけです。東工大では白川英樹助手(当時)だったわけで、国立大学の法人化はその人たちをますます排除しぶった切ってしまうことになるのではないかということです。法人化して、1年ごと、2年ごとに評価することをやり出したら、怖がる人はとてもじゃないけど、大胆不敵な、20年後に花開けばいいという仕事は絶対にやりません。

◆恩師に救われ、研究の世界へ復帰

赤池 学生生活は院生も含め、どちらかというと研究とはほど遠い生活でやってきました。背水の陣といえばそうだったかもしれません。一応研究室には入ったのですが、学生運動に染まり、普通は退学し出ていってしまうところを、鶴田禎二先生に救われ、研究室への復帰が認められました。さんざん騒いで行くところがなく内心どうしようかと思っていたところ、戻っておいでということで戻らせて頂きました。修士を終え、ドクターの1年生になるはずが、あまりに実験が少なかったと言うことで修士を3年やりました。要するに留年です。その後なんとか無事ドクターに進みましたが。その頃に片岡一則さんが修士から入ってきました。

・・・・・・・・・

<第2回 「ゼロの分野から」に続く>

(インタビュアー:RegMed-now編集室/ 編集:RegMed-now編集室・MDS・シーニュ)

*本インタビューのご感想をぜひお寄せください。
regmed-infoabmes.twmu.ac.jp

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2. 再生医療トピックス

◇第13回日本再生医療学会総会 演題募集開始

第13回日本再生医療学会総会の一般演題の募集が始まりました。
今回は京都大学の田畑泰彦先生が大会長をされています。

会期:2014年3月4日(火)~6日(木)
会場:国立京都国際会館
演題募集期間:2013年8月6日(火)~10月15日(火)
http://www2.convention.co.jp/13jsrm/index.html

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◇東京工業大学バイオマテリアルシンポジウム(第4回バイオ・エンジニアリング先進研究会)

テーマ:「医学・薬学分野を革新するバイオマテリアル研究者への熱きメッセージ」
講演者:西山伸宏(東京工業大学)、広瀬茂久(東京工業大学)、丸山厚(東京工 業大 学)、玄丞烋(京都工芸繊維大学)、大和雅之(東京女子医大)、松田武久(金沢工業大学)、赤池敏宏(東京工業大学)他

会期:2013年9月19日(木) 10:30~
会場:東京工業大学すずかけ台キャンパス すずかけホール
聴講料:無料
URL:http://www.bio.titech.ac.jp/

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3. ABMESダイジェスト

東京女子医科大学 先端生命医科学研究所(ABMES)の注目の研究成果をお届けします。

◇口腔粘膜上皮細胞の6動物種間比較による、実験動物選択への提案
  近藤誠(Makoto Kondo)ら著

 口腔粘膜上皮細胞を用いて作製された細胞シートは、角膜や食道の再生医療への臨床応用が進められており、口腔粘膜上皮細胞の特性のさらなる理解が求められている。ヒト口腔粘膜上皮細胞の採取には侵襲が伴い、研究用に潤沢に用いることが難しいため、実験動物であるラット、マウス、イヌ、ウサギ、ブタの口腔粘膜上皮細胞とヒト口腔粘膜上皮細胞を、培養系での増殖能や薬剤感受性について比較した。この結果、イヌ細胞は特に増殖がよく、マウス・ブタの細胞の増殖能は非常に低いことなどが明らかとなった。本研究成果は、最適な実験動物を選択するための貴重な情報となることが期待される。

"Significantly different proliferative potential of oral mucosalepithelial cells between six animal species",
Makoto Kondo, Masayuki Yamato, Ryo Takagi, Daisuke Murakami, Hideo Namiki, and Teruo Okano, Journal of Biomedial Materials Research A (Article first published online: 1 JUL 2013)
≫本論文の掲載サイト:http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/jbm.a.34849/abstract

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◇受賞のお知らせ

 当研究所博士研究員の近藤誠さんが「日本レチノイド研究会 藤木賞」を受賞されました。おめでとうございます!

学会名:第24回日本レチノイド研究会学術集会(2013年8月30日-31日)
受賞名:日本レチノイド研究会 藤木賞
演題名:「重層扁平上皮細胞シート培養における無血清培地添加因子としての全トランス型レチノイン酸の役割」
共著者名:近藤誠、大和雅之、高木亮、並木秀男、岡野光夫




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