Vol.24(2012年3月15日配信)

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 こんにちは、RegMed-now編集室です。風に春の気配を感じる季節になりましたね。春は旅立ちの季節、新しい環境へと羽ばたいて行かれる皆様に心からのエールを送るとともに、これからもますますのご活躍をお祈り申し上げます。ついでに花粉はあまり羽ばたいてこないように祈っております。
 さて、今回のインタビューは金沢工業大学の松田武久先生の3回目です。アメリカでのポスドク経験を経て、ローム・アンド・ハース社で大きな功績を残された先生は、いよいよ日本で新しい分野の開拓に着手されます。

* 一部の読者の方に、本号の配信日を誤ってお知らせしておりました。 お詫びを申し上げるとともに、本号の配信を持ちまして訂正とさせて頂きます。


【目次】

1. インタビュー企画 『未来医療への挑戦者たち』 シリーズ第4弾 松田武久
●第3回 「国立循環器病センターと、倒れるヤギ」

2. 再生医療トピックス
◇大和雅之著 「おしゃべりな細胞たち 再生医療入門 すぐそこの未来を話そう」発刊のお知らせ
◇第35回未来医学研究会大会 開催のお知らせ(2012/4/26)
◇第28回日本DDS学会学術集会 演題〆切【2012/3/29 正午】迫る

3. ABMESダイジェスト
◇テルモ株式会社による細胞シートによる心筋再生治療の治験開始


1.インタビュー企画 『未来医療への挑戦者たち』 シリーズ第4弾
-金沢工業大学 松田武久

【プロフィール】
松田 武久(まつだ・たけひさ)
1968年京都大学工学部燃料化学科卒業。1968年三井東圧(現 三井化学)(株)技術研究所に入社後、1972年、京都大学で博士号を取得。その後、渡米し、ケース・ウェスタン・リザーヴ大学で博士研究員、米国無機化学メーカーのローム・アンド・ハース社の中央研究所で研究に従事。1980年、設立されたばかりの国立循環器病センター研究所人工臓器部に研究室長として就任。1998年、九州大学大学院医学研究院医用工学分野教授、2006年、金沢工業大学のゲノム生物工学研究所教授に就任。


☆シリーズ第4弾を読む > 第1回第2回第3回最終回

●第3回 「国立循環器病センターと、倒れるヤギ」

◆懐かしきクリーブランド

――ポスドクの後は、どのように展開されていったのでしょうか?

松田 近年、日本でもポスドクの期間が長くなっていますが、僕がアメリカにいた頃は、ポスドクは2年がマキシマムだと言われていたんですよ。つまり、2年以内にアシスタント・プロフェッサーの道に進むか、企業に就職するかのどちらかということになる。あるとき、教室のチェアマンが僕に、「お前はこの先どうするんだ?」と言うから、「2年したら日本に帰る」と答えました。そうしたら、考えを改めて残るようにと引き止めてくれましたが、僕にとってはやはり英語の面でしんどかったんです。30歳くらいから英語力を伸ばそうというのはなかなか難しい。
 それにしても、クビを切られるポスドクもいる中で、日本人は頑張っていましたね。朝から晩まで一生懸命やって、土曜・日曜まで出てきてね。雪の日の夜なんかに工学部で電灯がついているのが見えたら、「ああ、日本人がやっているな」というもんですよ。当時は全学で8人の日本人がいました。早稲田や東大から。その8人のうちの2人が、今でも現役で京大と阪大で、副学長をやっていますよ。8人のうちの2人だから、すごい確率じゃないですか。みんな死に物狂いでドクター論文を書いたりしていましたね。

――女性の方もいらしたのでしょうか?

松田 アメリカに留学しようという人で、クリーブランドに行こうという物好きは、特に女性ではいないでしょうね。カリフォルニアやニューヨークなら語学留学の女性も多いでしょうが。クリーブランドは、かつては製鉄所やメロン財閥なんかがあって栄え、それから寂れていった場所ですから、エリー湖岸の錆ついた製鉄工場の横を車で通るだけで胸がザワザワとするような、何とも言えない風情があったような気がします。工場から外れて垂れ下がった鉄パイプが風に舞い、ガーンガーンと鳴っているわけですよ。分かりますか?

――分かります。映画のワンシーンみたいですね。

松田 そうそう。金沢もちょっとクリーブランドと似ているところがあって、あのときの光景、あのときの雰囲気、あのときの温度や湿度、あのときの風の強さ、あのときの地面に這うような雲の形、そんなあれこれをふっと思い出すときがあるんです。みなさんも、できるだけいろいろな土地で過ごしたほうが人生が面白くなると思いますよ。

◆帰国はせずに、化学会社で増粘剤の研究

――先生に帰国を思いとどまるよう説得したチェアマンの方のお話がありましたが、結局、先生はポスドクの2年を終えて帰国されたのでしょうか?

松田 いいえ。そのチェアマンは、「アメリカは、お前みたいな人間を求めているんだ。お前が気に入る会社を紹介してもいい」とまで言って、実際にいろいろな会社に話を回してくれたんです。例えば、デュポン社の中央研究所もその一つでした。向こうからオファーをいただいて訪れてみましたが、「ここは僕には駄目だ」と思いましたよ。というのは、デュポン社の人はみんな、ネクタイをピシッと締めて実験しているんですね。参ってしまった(笑)。
 そのほかにもいろいろと会社を回ったけれども、「ここはいいかもしれない」と思ったのがローム・アンド・ハース社でした。1200人ほどを擁する研究所なんですが、アットホームな感じで、社員の話を聞かせてもらうと、ある人が「自分を含めて3代がこの会社で働いています」と言うんですね。父も働いているし、息子も働いている。「アメリカにこんな会社があったのか。ドイツ系の企業だから、やはり日本と似ているのかな」と思って、入社を決めました。非常にジェントルな会社でしたね。

──そちらではどのような研究をされたのでしょうか?

松田 ローム・アンド・ハース社では、ラテックスを生産してペイント会社に卸していました。ペイントの中にはラテックス系のものもあります。日本では想像がつかないかもしれませんが、アメリカでペイントと言ったら一大産業なんですよ。アメリカの人は、自分で家の壁でも何でも塗るわけです。
 普通、ラテックス系のペイントの中には、小さな粒子が浮いています。そして、ポリアクリル酸とか、ヒドロキシエチルセルロースとか、水溶性の高分子を増粘剤として入れている。つまり、ラテックスの間で高分子が網目構造を作っていて、粘性が高いんです。粘性が高すぎても低すぎても、うまくペイントすることはできません。この粘性を調整するというのが、この会社での私のテーマでした。表面科学を学んでいたことが役に立ったわけですね。やがて、Associative Thickenerと名づけた疎水鎖増粘剤を開発したら、アメリカのコーティング学会から学会賞をもらいました。会社の評価も高かったですね。

──その後、日本に戻られることになりますが、どのような経緯だったのでしょうか?

松田 親友が医学部にいて、僕の家によく遊びに来ていたから、僕の両親とも知り合いだったんです。彼は毎年1回、学会のついでにアメリカの僕のところに泊まりに来ていたんですよ。そのときに、「日本に帰るとしたら、どんなところに帰りたいか?」と聞くから、「既成のところは駄目だ。大学も企業も」と答えました。
 僕は三井化学を辞めるとき、上司にこう言われましたよ。「松田君、僕は君の将来が心配だ」と。本当に心から真剣に考えてくれていました。「ドクターコースを出て大学院に残らないとしても、再び企業には入れないだろう。三井系列には入れないし、三井系列が駄目なら住友や三菱系列だって駄目だろう。財閥系列というくくりでは同じだから」とね。
 そんなこともあって、僕が日本に帰るとしたら、やはり新しい分野かなと思ったんです。既存のオーソリティがいないところ。それが具体的に何の分野かと言えば、ケース・ウエスタン・リザーブ大学(CWRU)で少しかじった医用材料で、当時日本になかったから、それが念頭にあったわけです。

◆国立循環器病センターへ

松田 それから2年ほどしてから、僕の父と親友が駅でばったり出会って、「武久君が、日本に帰るんだったら医学と工学の間みたいな分野で働きたいと言っていましたが、今ちょうど大阪に国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)というのを作っていますよ」と教えてくれたんです。ここでは、研究所メンバーの100人のうち、20人くらいは工学関係から採用するということで、「いい話を聞いた。履歴書を送れ」と父親から電話がありました。
 当時は、1つのポジションがあれば、そこに20人も30人も群がるような時代でしたから、もし僕が採用されたら一生懸命に頑張っている人に申しわけない。だから、僕は帰国しないだろうと、そのようなことを書いた手紙を父親に送りました。すると、その手紙が国立循環器病センターの研究所長のところに渡ってしまった。当時の研究所長は生物物理で著明な岡小天先生でした、とても温厚で、昭和天皇のご学友ですよ。バイオレオロジーを研究されていて、それで日本学士院賞を受賞されています。
 その岡先生から僕に手紙が来て、すぐというわけではないけれども、出張や休暇で日本に帰られることがあったら連絡が欲しいということが書かれてありました。1年ほどたって、日本まで出張した際にお会いしたら、「興味があるなら、どうぞうちに来てください」とおっしゃった。当時、日本で医用材料の分野をやっていたのは、岡野光夫先生(現・東京女子医科大学先端生命医科学研究所所長・TWInsセンター長・教授)や赤池敏宏先生(現・東京工業大学教授)くらいで、しかも医用材料の分野ではドクターを出てから数年の研究歴しかなかった頃でした。研究所発足当時は留学経験者や長期海外で仕事をしている人が採用されることが多く、また人工臓器開発は実学的なので、企業で働いていた経験に目をつけて誘っていただいたのでしょう。

――国立循環器病センターに移られて、どのような研究をなさったのでしょうか?

松田 梅津光生先生(現・早稲田大学先端生命医科学センター・TWInsセンター長)と、外科医2名の人工臓器部に入りました。始めはヤギに装着した補助心臓の血液接触面に好発した血栓を走査型電子顕微鏡で観察することから始めました。血液と材料表面の相互作用を制御するのに、材料工学の知識の他に、相手方の生体系を知る必要がありました。血栓の形成過程が勉強でき、またその形態の時間的変化等を実用的に学べたことは、その後の医用材料の研究に役立ちました。

──できていた血栓が飛んだりすることはないのですか?

松田 電子顕微鏡で見ると、ベチャっとした粘着性のあるような感じの血栓ができています。いったんそういうものができると、人工心臓の場合は動いていますから、大きい形でペロッと剥がれることがあります。梅津先生と実験をしていたときも、実際に1回飛んだことがあります。「これは飛ぶかもしれないね」と話しながらヤギに背を向けたら、後ろでドサッという音がしたんです。ヤギが倒れた音でした。血栓が飛んで脚のところに詰まり血流が行かなくなったので、正座をして足がしびれて立てなくなることがあるようなもので、ドサッと倒れてしまったんですね。
 そのヤギは50日くらい生きていましたから、もっと行けるのではないかということで、外科医が造影しながらフォガティカテーテルというものを入れて血栓をつまんで捨てていました。だけど、目に見えない微小な血栓もありますからね。その当時の補助心臓のポンプでは、ヤギならだいたい80~90日くらいまではうまくいっていました。ところが、100日を超えるのはものすごく難しかったことを記憶しています。そうしてヤギが亡くなるときは、かわいそうに本当にうめき声を上げていますよ。あの声を聞くのは嫌でした。
 解剖してみたら、微小な血栓が腎臓に飛んでいることが多くありました。腎臓の末梢血管に詰まっていくと、腎臓は柿の熟したみたいな形になっていて、ひどいときは持ち上げると組織自体がベチャっと潰れている。怖いなと思いましたね。
 私が少し関与した補助人工心臓は、在任中に臨床治験を90例くらいやった後、健康保険で先進医療として認められるようになりました。今ではもう1000例を超えているかもしれませんね。でも、血栓が脳に飛んで脳梗塞になるというのを完全には防ぎきれていませんから、異物に対する生体防御機構の血栓形成を厳密に制御するには、まだ完全ではありません。

・・・・・・・・・

<最終回 「研究者人生の総決算として」に続く>

(インタビュアー:RegMed-now編集室/ 編集:RegMed-now編集室・シーニュ)

*本インタビューのご感想をぜひお寄せください。
regmed-infoabmes.twmu.ac.jp

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2. 再生医療トピックス

◇大和雅之著「おしゃべりな細胞たち 再生医療入門 すぐそこの未来を話そう」発刊のお知らせ

講談社様より、当研究所教授の大和雅之の著書が発売となりました。
細胞シートは美容にいいの?といったこれまでとは違った切り口からの再生医療入門書となっております。ぜひ当研究所所長の岡野による著書「「細胞シート」の奇跡」と合わせてお読みください。
URL(講談社様サイト内):http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2174804

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◇第35回未来医学研究会大会開催のお知らせ

テーマ:日本発先端医療のグローバル展開
会期:2012年4月26日(木) 10:00~18:15
会場:弥生記念講堂(懇親会はTWInsラウンジにて開催)
URL:http://www.twmu.ac.jp/ABMES/SFM/ja/35th
*事前の参加登録は不要です。

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◇第28回日本DDS学会学術集会 演題登録〆切をご確認ください

テーマ:−基礎から拓くDDSフロンティア− 〜NO DDS, NO LIFE〜
会期:2012年7月4日(水)・5日(木)
会場:札幌コンベンションセンター
演題締切:2012年3月29日(木)正午
URL:http://www.knt.co.jp/ec/2012/28dds/

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3. ABMESダイジェスト

東京女子医科大学 先端生命医科学研究所(ABMES)の注目の研究成果をお届けします。

◇テルモ株式会社による細胞シートによる心筋再生治療の治験開始

 先端医療開発特区(スーパー特区)「細胞シートによる再生医療実現プロジェクト」のもと、細胞シートによる心筋再生治療の世界初の治験(テルモ株式会社)が開始することとなりました。詳細はテルモ株式会社によるプレスリリースをご覧下さい。




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