Vol.23(2012年2月16日配信)

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 RegMed-now 編集室です。まだまだ余寒厳しい季節ではございますが、皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。 我々も皆様の元気の元となれるようなコンテンツの配信に取り組んでゆきます。
 今回も前回に引き続き、組織工学の黎明期を駆けてきた金沢工業大学の松田武久先生のインタビューをお送りいたします。松田武久先生は、日米の大学、企業両方を経験している非常に貴重な体験をもつ先生で、表面化学の立場から、人工臓器の研究に従事してきました。まだ、再生医療などという言葉がないころから、医工学の重要性に着目し、バイオマテリアルの世界を支えられてきた先生です。今回は、その第二話として、先生のアメリカでのポスドク時代の研究生活についてお話を伺いました。


【目次】

1. インタビュー企画 『未来医療への挑戦者たち』 シリーズ第4弾 松田武久
●第2回 「"Taki, this paper is so cute."」

2. 再生医療トピックス
◇岡野光夫著 「『細胞シート』の奇跡」発刊のお知らせ
◇第28回日本DDS学会 開催のお知らせ(2012/7/4-5)
◇第33回日本炎症・再生医学会 開催のお知らせ(2012/7/5-6)

3. ABMESダイジェスト
◇骨組織工学への応用のための骨細胞シートの開発 (RP. Pirraco ら)


1.インタビュー企画 『未来医療への挑戦者たち』 シリーズ第4弾
-金沢工業大学 松田武久

【プロフィール】
松田 武久(まつだ・たけひさ)
1968年京都大学工学部燃料化学科卒業。1968年三井東圧(現 三井化学)(株)技術研究所に入社後、1972年、京都大学で博士号を取得。その後、渡米し、ケース・ウェスタン・リザーヴ大学で博士研究員、米国無機化学メーカーのローム・アンド・ハース社の中央研究所で研究に従事。1980年、設立されたばかりの国立循環器病センター研究所人工臓器部に研究室長として就任。1998年、九州大学大学院医学研究院医用工学分野教授、2006年、金沢工業大学のゲノム生物工学研究所教授に就任。


☆シリーズ第4弾を読む > 第1回第2回第3回最終回

●第2回 「"Taki, this paper is so cute."」

◆国内に残るも海外に出るも、ポジション探しは大変

――先生はポスドクとしてアメリカに渡られましたが、そのときどのような思いでいらっしゃったのでしょうか?

松田 誰々に師事して研究したいというのとは違って、当時はポスドクという制度が日本にはなかったから、アメリカに行かないとしょうがなかったんです。僕が渡米したとき、大学1年生時の同級生のうち、7人がポスドクでアメリカをうろついていました。27、8歳の頃です。

――国内でポジションを探すというお考えはなかったのでしょうか?

松田 それはなかったですよ。当時、大学におけるあきポジションは極めて少なかったですね。大学という組織において、ポジションが増える機会というのは、そんなにたくさんないんですよ。以前、国立大学法人に移行した際には、ドカッと増えましたけれど。そういう流れに乗れた人はラッキーですよ。ポジションが増えたときは人が足りないから、30歳代の後半でも教授になれる可能性が高くなります。
 僕の同級生で、いろいろなところの教授になっている人でも、教授になったのは52、3歳くらいですよ。僕が教授になったのは54歳かな。僕は国立循環器病センター(現在の国立循環器病研究センター)から移ったからアレだけれども。40歳代で教授になっている人は、あまりいませんでした。ところが、僕の研究室の準教授は、37歳で九州大学の教授になっています。
 ところが、その後に続く人はしんどい。37歳の人が65歳まで教授であるとすると、その間にポジションが増えなかったら、30年近くも教授のポジションを1人で占めることになるわけです。これは極端な例かもしれないけれども、今にしてみれば、僕らの頃もそういう時期だったなと思いますね。僕らの年代で教授になるのが遅れたのは、そういうことだったんだと思います。だから、大学の制度が変わる時にたまたま遭遇するとラッキーですが、タイミングがベストで、逆にその後しばらくは反動がくる。その意味で、今の若い人はかわいそうですね。
 僕らの頃で日本に残るという人は、オーバードクターということで、昼間は予備校の講師か何かをやって、夕方から大学に出てきて実験室でアルバイトみたいなかたちでやっている、そういう人が多かったですね。

――海外に出ても国内に残っても大変だったということですね。

松田 そう、海外に出たって楽ではありません。海外に出たら、元の教室の先生に宛てて一生懸命に手紙を書くわけですよ。「こちらではこういう研究をやっています。そちらでポジションはありませんか?」と。あまり手紙を書かないでいると、「あいつはアメリカの生活でゆったりしているんだろう」ということになる。だから、3か月に一度は書く。先生が学会でアメリカに来るというのなら、自分の大学に寄らなかったとしても、ニューヨークならニューヨークまで会いに行くとか、僕の友達はそんなことをよくやっていました。僕は1回もやっていないけれど(笑)。
 そういうふうに厳しかったですよ。でも、あまり悲壮感はなかった。だって、社会全体がそんなに豊かではなかったわけです。今は社会が豊かになったから、大会社に入った人は給料が高くて安定している。僕らの頃は、ポスドクをやっても裕福ではなかったけれども、今みたいに差はないですよ。それはある意味ラッキーなところもありますね。だから、あまり絶望とか、こんちくしょうとか、そんなことは思わなくて、自由に研究させてもらっているからいいかという、そんな感じでした。

――アメリカでのご所属は、どのように決められたのですか?

松田 どこに応募しようかと思って、「Journal of Polymer Science」という専門誌を1冊パラパラとめくってね、論文のクレジットの末尾にある名前が教授だろうと当たりをつけて、それで4人に対して書類を送りました(笑)。
 その一つがケース・ウェスタン・リザーブ大学(CWRU:オハイオ州クリーブランド)というところなんですが、「聞いたことのない、おかしな名前だな」と(笑)。でも、実際に行ってみて感心したのは、こぢんまりした大学ですがノーベル賞受賞者を4人輩出しているんです。

──向こうではかなり有名な大学ですね。

松田 当時、高分子学科というのは全米で2つしかなかったんです。そのうちの1つがここです。正確にはまだ学科ではなくて、グループという感じでしたけれど。そこから「ぜひとも来てください」と連絡をもらいました。うれしかったですよ。
 当時はNASAが月を目指すのをやめるということで、たくさんの研究者がレイオフされていました。Ph.D.がタクシーの運転手をしているという時代。そんなときに、わざわざ外国から呼んでくれた。それでオーケーしたんですが、それから1週間して、カリフォルニア工科大学のジェット推進研究所というところからも招待がありました。医用材料やドラッグデリバリーをやっているところです。その次には、ノースカロライナ大学からも来て、結局、4通の応募に対してすべて招待をもらいました。でも、最初のCWRUでオーケーしてしまったからね。それで結果的にはよかったんですが。

◆ポスドク時代のこと

――CWRUではどのような研究をされていたのでしょうか?

松田 「今からボスのところへ連れて行くから」と言われて、ボスからワーッとしゃべられたんですが、何とか理解したところには、羊水を吸い上げて、その中から胎児の細胞をできるだけ早く増殖させるような基板(substrate)を作るということでした。そして、染色体の異常があったら中絶させるとかね、そういう研究だったんです。
 僕の前任者は、今は「Journal of Biomedical Materials Research」のeditor-in-chiefになっているジェームズ・アンダーソンさん(CWRU医学部教授)でした。彼は高分子のポスドクをやっていたんですが、医師になるために、僕と入れ違いで医学部に進学したんです。それでも、同じ大学の中だったから、彼は僕の研究室によく来て、ああでもないこうでもないとディスカッションしていました。
 そのときに、表面科学がものすごく重要だということで、表面科学の授業を受けさせてもらったんですが、いつしか担当のトムリン・フォート教授の研究室に入り浸るようになっていました。当時、全米に数台しかなかった極表面層の元素分析装置のESCA(electron spectroscopy for chemical analysis)という機械がCWRUに入っていたので、触らせてもらったりもしました。でも、当時の僕は医用材料にあまり興味がなかった。直属の教授は僕にこう言うわけですよ。「ほどほどにしておけ。研究費は向こうがかぶるけれども、余った時間と余ったお金でわれわれは別のことをやれる」(笑)。とはいえ、分からないながらも何とか頭をひねっていましたね。
 当時はまだ、ポリスチレンのシャーレにプラズマのグロー放電で処理する接着加工の技術がありませんでした。ポリスチレンだけだったら水をはじくわけですから、水に濡れるやつをやろうということで、ポリスチレンのベンゼン環のところに化学的に修飾をすればいいということになる。
 どうやったらいいかと思って様々実験してみましたが、ポリスチレンはすぐ溶媒でやられてしまうんですよ。行き詰まって前任者の机の引き出しを開けてみると、燃えて黄色になったクシャクシャのポリスチレンが入っていました。濃硫酸でも試していたわけです。僕は発煙硫酸を使って硫酸基の表面導入をやってみましたが、やはりボワーッと白い煙が出て黄色のクシャクシャになるわけです。
 それでどうしたかと言うと、今後は濃度を落としたらいいのではないかと考えた。濃硫酸の中には30%のSO3が含まれているから、濃硫酸をどんどん割って薄めたものを使えば、表面が溶けずに硫酸基で覆われるのではないかと思ってやったら、水滴の接触角が90°から10°位になって完全に濡れた表面ができました。30%をどんどん薄めて5%くらいのところでね。それを見せたら、ジェームズ・アンダーソンが悲鳴を上げました。「お前、これをどうやって作ったんだ!」ってね。それで、3か月で論文を書き上げました。
 僕は、そのときまでに、6年間で11本の論文を英語で書いていました。だから「僕が書いた」と言ったら、“I don't believe.”だって。悔しくてしようがないわけね。それまでは、教授からは「お前は英語が全然しゃべれないというのに、このドクター論文は誰が作ったんだ?」と言われていました。ところが、その鉛筆書きの草稿論文を見た教授に最初はこう言われたんですよ。僕の名前は武久だから「タキ」と呼ばれていたんですが、“Taki, this paper is so cute.”と言った(笑)。
 それで何とか提出したわけですが、あのときはあまり誤りがなくてね。合成がテーマだから、わりと楽に書けた。応用まで書こうとするなら、僕は今でも論文を書くのがしんどいけれども、合成とか表面科学のところならサーッと書けるわけですよ。そう思いませんか?

──確かに、生物に比べると化学のほうが書きやすいですね。「一つの道」がある程度分かりやすいと思います。

松田 そうでしょう。生物の話だと、自分の言いたいことを100%証明できないところがある。そのグレーのところをどうやって処理するかが難しい。そこをスルーしたら「ここを証明しなさい」と言われ、挑んで書いてみたら「ここは書かないほうが通ったのに」と言うレフェリーもいるわけですね。それを察して、書き足りなかったら自分も不満足になるんです。それを察したレフェリーが1人いましたよ。「このディスカッションのところは、本当はもっと書きたいのだろう。書きなさい」と返ってきた。うれしかったな。「この人はよく分かっているな」と思ってね。
 いずれにしろ、表面科学を勉強できたのは非常によかった。物理化学的なことを学部のときにやり、マスターとドクターで合成をやり、ポスドクで表面科学とコロイド科学を勉強したという流れです。

・・・・・・・・・

<第3回 「国立循環器病センターと、倒れるヤギ」に続く>

(インタビュアー:RegMed-now編集室/ 編集:RegMed-now編集室・シーニュ)

*本インタビューのご感想をぜひお寄せください。
regmed-infoabmes.twmu.ac.jp

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2. 再生医療トピックス

◇岡野光夫「『細胞シート』の奇跡」

当研究所所長の岡野光夫の著書が祥伝社様より発刊されました。
本書は細胞シートを用いた治療法の紹介にとどまらず、日本の医療にまつわる教育、法制度、国民の意識の問題点にまで言及しています。最先端の治療を必要とするすべての患者様のもとに届けるまでやりきるという岡野の強い思いと情熱が伝わる一冊です。
ぜひ御一読いただけますよう、よろしくお願いいたします。
URL(祥伝社様サイト内):http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784396614027

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◇第28回日本DDS学会学術集会 開催のお知らせ

テーマ:-基礎から拓くDDSフロンティア- ~NO DDS, NO LIFE~
会期:2012年7月4日(水)・5日(木)
会場:札幌コンベンションセンター
演題締切:2012年3月29日(木)正午
URL:http://www.knt.co.jp/ec/2012/28dds/

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◇第33回日本炎症・再生医学会 開催のお知らせ

会期:2012年7月5日(木)・6日(金)
会場:ホテル日航福岡
演題締切:2012年3月15日(木)
URL:http://www2.convention.co.jp/jsir33/info/index.html

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3. ABMESダイジェスト

東京女子医科大学 先端生命医科学研究所(ABMES)の注目の研究成果をわかりやすくお届けするコーナーです。
<最新論文紹介>

◇骨組織工学への応用のための骨細胞シートの開発
  RP. Pirracoら著

 Often times, bone defects such as the ones resulting from trauma or injury present delayed or completely absent healing. Therefore, external stimuli must be applied to kick-start and enhance bone tissue regeneration at the site of the defects.
 The potential of Cell Sheet Engineering for this purpose is immense since it allows delivering to the defect site bone forming cells derived from progenitor cells of the patient without using an artificial 3D matrix that could be rejected by the patient’s organism.
 With the present work we demonstrate that cell sheets composed of rat bone-forming cells are able to induce the formation of bone tissue after implantation in immunocompromised mice. Furthermore, bone formation was accompanied by marrow formation demonstrating the huge potential of these bone forming cell sheets for bone regeneration.

Development of Osteogenic Cell Sheets for Bone Tissue Engineering Applications,
Tissue Eng. Part A, 2011, 17(11-12), 1507-1515. doi:10.1089/ten.tea.2010.0470.




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